冷めてるよねっって高校生くらいまで良く言われてたなと思います。
冷めてるって言うのは、
冷静で、感情的に物言わない、ちょっと大人びたような、落ち着いた雰囲気のある、客観的な
みたいなイメージでみんな使っていた言葉だと思います。
だから、割と昔はまんざらでもない気持ちだったような記憶。
「冷めてるよね〜!」
「いや〜だって◯◯でしょ。」みたいな会話がよくあったような。
そして、それから10年くらい経って、
冷めるって怖いってことだったのかな?
と思いました。
先日魂うたのワークショップに行って、どこか、冷静になろうとする自分を発見しました。
自分が何かする時は一生懸命になろうとするのね、
でも、誰かが一生懸命になればなるほど、どこか無意識のうちに冷静になろうとするような時がある。
多分、一般的に「ちょっとひいちゃう」みたいな状況のことをいうんだけど、
ひいちゃうも色々だけど、
本当のこと を見ている時にひいちゃうような自分の器の小ささにうんざりして、嫌だな〜やめたいな〜と思いました。
やめたいと思って、うにゃうにゃ考えたこと。
数人で何かをしている時に、
一番くだらないと思っているような態度をとっている人に感情を合わせるような癖がある。
たぶん何かを「くだらない」と思う態度に、権威を感じてしまうのだと思います。
くだらないって言ったもんがち。
その人が偉いと思ってしまうような、ヒエラルキーを思春期の時に感じていたからそのままきちゃってるとこがあるような気がします。
それから、
くだらないと思わないと自分が疲れる。
だれかのある事に対する真剣な態度を通して、自分の傷みたいなものを見ちゃう時があるからかなと思いました。
今!私いっぱいいっぱいなんですけど!自分も向き合わないといけないなんて!
目を背けてるものがきっとあるのかもね。
怖かったり、見たくないものを見ないようにしているような
だから、冷めているという名の
ひいちゃうという名のシャットアウトをしているんだと思いました。
で、魂うたというワークショップのファシリテーターをして下さった和泉さんを見ていたら、
当たり前なんだけど、ファシリテーターだからそうなんだけど
多分優しい人ってこうなんだ〜って思ったのです。
優しい人は、どんな状況でも、どんな状態でも、その人が自分と真摯に向き合っていれば
とても温かい眼差しで見守ってくれるし、
深いところまで一緒にきてくれる。
けど、自分と他人の境界線をきちんと理解しているから
そして同時に、自分の力も、相手の力も信頼しているから
どんなに深いところまでついてきても、一緒に泣いても、一緒に怒っても
なんというか、、、次の瞬間は、自分に戻れる。
そして、参加する側や、例えばヒーラーさんに治してもらう側の人は
そこが分からない人に、冷たいと思われたり、見てくれてない!と思われたりするんだろうな〜
なんて思いました。
恋愛でも、夫婦でも、似たようなことがあるかもしれないですね。
みんなが、真摯に自分と向き合っていたら。
自分を整えることに、自分を愛することに怠らずに生きていたら。
相手がどんなに落ち込んでも、生理でイライラしていても、機嫌悪くても
相手の気持ちを想像して寄り添うことができるし
次の瞬間は機嫌良い方が美味しいご飯作ってあげたりできる。
でも、それができていないと
何故か相手のイライラは自分のせいじゃないかと、
嫌われたんだとか、あれが嫌だったんだ、とか自分を責めちゃったりして
ごめん、私なんかした?
↓
いや、違うから。ほっといて
とか言われて悲しくなって、もやもやして、ご飯なんか作れなくなっちゃうのよねん。
(これ、彼とドイツで生活していた時の私。笑)
(でも、私がぎゃんぎゃん騒いでも彼はご飯作ってくれるんだよな〜素敵な人♡)
あ、書いてて思ったけど、
冷めて、ひいちゃって、自分を守ろうとする時と
一緒に落ち込んで、自分のせい?って自分を責めるのも
自分の軸が整っていないから起きるんだね。
本当の意味で優しい人になれたら、素敵だよね〜
その為に自分のことまずやります。
おーわりっ!